2020年01月27日

スイセンより そこに関心を寄せた

事務仕事を終え 会社を出る頃には 朝の雨は上がっていた。
久しぶりに予定のない日曜日の午後。

昼飲みでもと思ったが..あっ、エンジンを掛けてやらないと。

当てもなく走るのもつまらないし.. ん〜 1月といえばスイセンか?
調べると 千早赤坂村に スイセンの丘があることが分かり 向かった。

大阪で唯一の村だということ。
その昔、千早村と赤阪村が合併して誕生したということ。

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千早赤坂村については そのぐらいしかワタシの頭の中には入っていなかった。

ここを右折だな?

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道の駅 ちはやあかさか ” を利用すると良いと書いてあったので それに従った。

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そこで 楠公(なんこう)さんこと 楠木正成の誕生地だということを知る。
そういえば小学生の時に習ったような..。

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ふと..落語家の桂南光さんが この千早赤阪村出身だったということを思い出す。

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まさか?

..と思い 調べてみると うそのような本当の話だったので驚いた。

桂 南光襲名時に大師匠である米朝が..
『 南光は千早赤阪村の出身でございまして、年配の方はまぁ、よくご存知でございましょうが、ここは楠木正成という、大楠公と言われた人の出生地でございます。そういう縁がありまして.. 』
とのお祝い口上を述べられていたのだ。 

萬に光と書く名跡があり、その桂 萬光に決まりかけていたという。
ところが師匠である枝雀が ちょっと東京では 仕事がしにくいんじゃないかという意見も出ましてと..笑いを誘った。

楠公と南光..落語や噺家好きのワタシは そのことに関心を寄せた..と同時に誰かに言いたくなった(笑)

いかんいかん..本題に戻さねば。

この道の駅から歩くこと2〜3分の場所に 5万本のスイセンが咲き誇る “ スイセンの丘 ” がある..と書いてあったが

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それは地味に..それは質素に展開されていた。

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時期的にも少しばかり早かったようで、まだまだ沢山のつぼみが控えていた。

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スイセン畑横の階段を上ると

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楠公没後600年祭記念として昭和15年に建てられた “ 奉建塔 ” がある。

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塔の高さは43尺で 楠木正成が湊川で戦死した時の年齢である43才を表わしているという。

そこに刻まれた文字「 非理法権天 」は、正成が旗印に用いたと伝えられる。

「 非は理に勝てず、道理は法に勝てず、法は権力に勝てず、その権力も天命には勝てないという」という意味だそうだが..桂 南光襲名話ほどにはワタシの胸に響かなかった。

楠公さん好きや歴史好きの方、はたまた写真好きの方は足を運ばれるのもいいかと思います。
posted by osuechan at 12:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記
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